原稿のプロットが進んでいく!いいぞ!どんどん練って増やしてくぞ!
しかしシナリオライターがわざわざ「彼は人を愛しません!」なんて言い出したの凄くない? まるで二次創作者が試されてるみたいでワクワクしちゃうな!逆境でこそ力漲るタイプなので、あれこれ考えてるのは本当に楽しい。
恋でも愛でもなく、彼が彼女の隣に寄り添う理由はそれなりにあるんじゃないかな。勿論公式の設定に抗うつもりはなくて、物語の中での彼の在り方についてはとにかく大切にしたいんですけど。
その上で、どうやってカップリングの可能性を見出すのか。
さて先日、友人に誘っていただいて初めて目黒シネマに行ってきました。
この歳にして遂に寺山修司デビューを果たしてきました!何事にも遅いなんて事はないのかもしれないけど、少女革命ウテナを愛してどれだけの年月が経った事か…
観たのはこの2本。ほぼ休憩もなくぶっ続けで観たから疲れた…!でも映画館の最前列には脚置きとしてオットマンがあって(しかもゴブラン織りの可愛いやつ!)それを知ってる友人のおかげでゆったり過ごす事は出来たかな。
「書を捨てよ町へ出よう」の方はなんというか、ハチャメチャというか破天荒というか。序盤にあったシーンで、人通りの多い街中で男性器を模したサンドバッグを女性がひたすらボコボコにしてたのが面白すぎて(笑) まあそういう感じの映画です…って書くとやや語弊はありそう。
観ててなんとなくだけど、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を思い出した。どちらも1970年代なんだよね、そういう何か革命めいたもののあった時代なのかもしれない。
「田園に死す」はもうね、アンダーグラウンド・サブカルチャーの原液という感じが凄い。白塗りの学ラン少年(ライチ光クラブ) 犬神サーカス団(犬神サアカス團)あたりはわかりやすいかな。所々にアニメやなんかの元ネタ的なものを見掛けてフフッてなった。
両作品共に言える事として、作品としてメタ的な作りになってるんですよね。特に田園に死すのラストは良い、恐山かと思ってたらまさかの新宿…(笑)
それと、ウテナ好きとして触れないといけないのが劇中歌を担当していたJ・A・シーザーです。いや普通に日本人ですけど、彼は天井桟敷でも活躍した後に自ら万有引力という劇団を設立しています。少女革命ウテナの劇中歌はJ・A・シーザーが作曲をして万有引力が歌っているんですよね。その源流に寺山修司という存在がある。両映画も始終J・A・シーザー節の効いた独特な楽曲に満ちていました。
映画館を後にして、誘ってご一緒してくれた友人とご飯をしながら一頻り話をしたんですけど。
結論として、私には寺山修司作品が刺さってこなかった。なんでだ?と思ってたんだけど、友人曰く「あの泥臭さが合わないのでは?」と。それだー!納得!私は綺麗で美しいものにこだわりがあるから…
そんな話をしつつご飯を食べたんだけど、その友人とはお互い好きなものの方向性は近いのに刺さってくるものが微妙に違ってて。でもお互いの趣味を尊重しつつ各方面の深い話ができる本当に貴重な友人だなと…めっちゃ有難いし大切にしたい。
そんな彼女がデザフェスのお土産をくれたんですが。
彼女らしいセンスの最高のものだった!かなり攻めたデザインだよ…膝にバフォメット、その下にマグダラのマリア? 他にもヤバめのモチーフてんこ盛り!
但しこれ、履いていく場所は選ばないといけないわね…